vol.3 Blanc Pain 「サラー亜子さん」   
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第3回は、天白区にあるパン屋さん「ブランパン」のオーナー、サラー亜古さんです。

ブランパンさんは普通のパン屋さんとは違います。アンパンがないんです、総菜パンもありません。しっかり焼けたバケットや、皮がパリパリしたクロワッサン、どっしりしたカンパーニュパン、どれもフランス人が普段食している主食であるパンがあります。そう、ここは、サラー亜古さんと、フランス人のご主人で作り上げた、あくまでフランス気質のパン屋さん。では、お話を伺いましょう


お店のことをお聞かせください


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お店は、天白店と栄店があります。フランスでは、近所の人が毎日主食を買うお店が、パン屋さんの役目なんです。だから、人通りの多い繁華街ではなく、住宅地にお店を出したいという思いで、まずは、ここ天白にお店をかまえました。天白店は2000年4月にはじめました。天白店をはじめて、4年たったころ、お客様から、天白店は車で行かないと無理なので不便だ、という声があったんです。それで、もう1店出店しようとなったときに、栄に店を構えました


お店を出した経緯を教えていただけますか

主人は、パン職人としては20数年のキャリアがあり、日本のあるパン屋さんで働いていました。私と結婚してしばらくして、アンパンや総菜パンのない、日本式でないフランス式のパン屋を開きたいと、主人から言われたんです。

この天白のお店は、東山公園にも近く、素敵な場所にありますね、どのような経緯でここに決められたのでしょう

まずは、不動産であたるにあたって、主人から条件を出されたんです。賃貸で独立した一軒の店舗であること、50㎡の作業場があること、住宅付きであること、という3つの条件だったんです。でも、通常そんな物件ありませんよね、普通はテナントで始めるのが一般的ですよね。もちろん、不動産屋さんも、そんな物件はありえないと言われていたし、私自身も、そんな条件は無理だろうと考えていたんです。でも、主人は「自分たちではじめることを、自分たちの独自のアイディアでやることこそ、他との違いを出せるんだ」と引き下がらなかったんです。それで、ここの場所が、たまたま見つかったんです。この場所をたまたま通り過ぎて、貸事務所の看板が立ってました。
当時は、元建築事務所の事務所で、イメージとはだいぶかけ離れてたんです。でも、主人の条件には、すべてあてはまっていだんですよね。

外観は、ピンクの壁で、南仏風の素敵な外見ですよね

実は、外観はほとんど、元の事務所のままなんです。壁は、最初からこの色だったんですよね、入口も扉以外はそのままです。予算がなかったので、主人が植栽や内装を担当したり、看板を知り合いの美学生に頼んだりしました。看板の絵は、今も、そのまま紙袋のデザインになってます


ブランパンという名前の由来を教えて下さい

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フランスだと、パンはしっかり焼き色をつけるんです。でも、日本では、フランス式にしっかり焼き色をつけると、あまり売れないことがあるんです。主人が日本でパンを焼いて思ったのは、「日本人は白いパンが好きだ」ということだったんです。フランス語で「白いパン」は「パン・ブラン」と言います。でも、そこで、主人が思いついたのは「ブランパン」だったんです。なぜかというと、スイスの高級時計に「ブランパン」というブランドがあるんですね。主人はユーモアが好きなので、それにかけて「ブランパン」にしました。実は、後日談がありまして、お店が知られるようになってから、高級時計ブランパンの日本の販売元の担当者が、お店に視察に来たことがありました。まあ何事もなかったんですけどね(笑)


ブランパンのパンのこだわりを教えて下さい

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あくまでフランス式です。扱っているのは、食事パンである、バゲット・クロワッサン・カンパーニュ、お菓子パンである、デニッシュ生地・ブリオッシュ生地・パン・オ・レなどです。バゲットの長さ、クロワッサンなどフランスのスタンダードの大きさにしています。フランスでは、パン屋さんがケーキを扱うのが普通なので、ケーキも販売しています

では、サラー亜古さんについて伺っていきましょう

このお店では、どういう立場でいらっしゃるのでしょうか

現在はオーナーです。最初は、主人がオーナー・パン担当で、私が、お菓子・販売担当でした。
でもお店を続けるうちに、裏方の仕事と、接客の仕事を両立させていくのは無理だと感じました。お店開店後、2週間目に妊娠がわかったので、それを機にお菓子は新たに他の人に任せて、私は販売、経理、人事関係の裏方を専門に担当することにしました。

今の仕事につくまでの経緯を教えていただけますか

まずは、日本で9年OLをしていました。その間に、何度もフランスに旅行をしているうちに、まずは、フランスが大好きになりました。OLを辞めた後、フランスにお菓子を勉強しに留学しようと思い、その前にお菓子の基礎を習いに、1年間大阪の製菓学校に毎日通いました。フランスには、アルザス地方のストラスブールに1995年から1997年まで2年間留学していました。日本に帰ってからは、お菓子教室を開き、100人ほどの生徒を教えていました。主人とは、日本に帰国して1週間後あるパン屋で出会い、1年以内に結婚し、2人で独立しようと決めました

なぜ留学先をストラブールに決められたのですか

OL時代のフランス旅行はせいぜい10日間なのですが、ストラスブールでは、後につながる人たちと何人もの出会いがあったんです。特に、お世話になったのは、3つ星レストランの「ル・クロコディル」のオーナー、ユングさんです。食事をした後のオーナーとの少しのやりとりから知り合いになり、後に留学の際には、お菓子担当として1年半の間、厨房で働かせていただきました


フランスでの生活はどうでしたか?

大変楽しかったです。10か月はフランス語学校に通い、その間に、以前知り合いになった「ル・クロコディル」で、賄いを食べさせていただいたりしました。海外での生活がとても適応できるタイプだと思います。帰りたくない思いもありましたが、蓄えの切れ目で帰国しました

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ブランパンさんのモーニングPetite dejuener 焼きたてのパンとクロワッサンがつきます

小学校4年生の息子さんがいらっしゃるんですよね。子育てと仕事の両立について教えて下さい。

とりあえず、目の前にあることをこなしているだけです。子育てだけでなく、すべてにおいて、日々反省の日々なのですが、基本的に、自分のこと、仕事の事、子どものこと、家事のこと、すべてのことに100パーセントを求めていないということでしょうか。子どもに関しては、病気をせずに、元気に学校に行けてればいいな、ぐらいの気持ちでいます。

ストレス発散法はなんですか?

本当に大変なときにも、表に出せないタイプなんですね。自分で大変なことに気づかないんです。だからかえって、自分で大丈夫かな、と思うことがあります。でも、自分の中で思いっきり脱力することは、できてるかもしれません。


子育てママさんへ応援メッセージを一言お願いします

自分の子どものことでいえば、いろいろな人に助けてもらってきたなという気がします。子どもが1歳くらいまでは、主人から子育てについてフランス流を求められたので、つらい時期もありましたが、0歳から子どもを保育園に入れてましたし、実母に助けてもらったり、友人から声をかけてもらったり、自分から助けを求めたりしました。あのころを振り返ると、どんなつらい時期も「抜けないトンネルはない」と、今は思います。


最後にひとことお願いいたします

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実は、主人は去年の9月に他界しました。主人は、いろいろな人に自分の技を教えて、一人だけではできないより大きな仕事をしたいという人でした。「自分で考えさせる」というのがモットーで、まずはやらせてみて、だめなところだけを口出しする、という人でした。ただ、常に目を光らせて、お店の状態を見ては、わたしをはじめ、スタッフにも常にダメだしをしていました。そのおかげで、主人のその教えをたたきこまれたパン職人が、今もスタッフとしていることが幸いです。今でも、その目を感じながら、私もスタッフも、ムッシュだったらどう見るだろうかと、考えながら日々の仕事をしています。主人がこの店を見ているという意味では、生前とお店は変わるところはありません。

インタビューを終えて

「人生には無駄がない」というのが信条である、サラー亜古さん、何が起ころうとあるがままを受け止めて、まずは毎日のルーティンワークをこなしている、底力のある人という印象を持ちました。パン職人さんや、販売スタッフを束ね、お店の経営を支えていかなければならないオーナーという仕事は、やはり並大抵の人では勤まらないでしょうね。サラーマダムの、力みすぎない、こだわりすぎない、求めすぎないニュートラルさで持って日本人の大好きなアンパンがなかろうが、日本サイズには大きすぎようが、これからも是非、フランス職人気質の個性的なこだわりの店を、名古屋の地で貫き通していただきたい、私個人のたっての願いです
管理人Mito


●ブランパン
http://blanc-pain.jp/
●なすママの@レポートブログページ
http://nasumama.com/reportblog2/?eid=50
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